安易な発想 [日記・雑記]
<ママがいない>ドラマは「差別に満ちた内容だ」抗議
毎日新聞 1月16日(木)19時19分配信
親が育てられない子供を匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」を設置する慈恵病院(熊本市西区)の蓮田太二理事長らが16日、同病院で記者会見し、日本テレビ系列で15日に放送が始まったドラマ「明日、ママがいない」について「差別に満ちた内容だ」として日本テレビに放送中止を求めると発表した。放送倫理・番組向上機構(BPO)への審議申し入れも検討している。このドラマについては、児童養護施設関係者からも「人権侵害」との指摘が出ている。
この抗議は至極真っ当なものだと思う。だからテレビ局のこの抗議に対するコメントが回答になっていない。
「子供たちの視点から『愛情とは何か』をいうことを描く趣旨」に必要な設定なのだろうか。そしてフィクションならどんな設定にしても良いのだろうか。
「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」は現実に存在し、その施設も簡単に特定できその後の子供の受け入れ先も特定できる。つまり現実にその施設にいる子供やスタッフが生身の人間がいるということだ。
ドラマなんだからフィクションなんだから現実と勘違いを起こすわけがない、なんて表現する側の欺瞞でしかない。こんなのいかに問題作に仕立て上げるかという視点で作っているということでしかない。「心が荒んだ子供が、紆余曲折を経て愛情を感じ、心を取り戻す」たぶんこんな感じのストーリなのだろう。「家なき子」などかつてのこの手のドラマの王道ストーリーで、いじめや虐待などがないと視聴者が食いつかないと思っているわけだ。実に安易な発想である。
こんな感覚だから、子供目線なんて言い訳にして実在の生身の人間の心を平気で踏みにじるのだろう。そもそもこのドラマのスタッフは現実のこういった施設をどれくらい取材したのだろう?
メディアはドラマに限らず報道などでも、自分たちの思い描いていたストーリーに固執して現実を歪曲する傾向がある。だからねつ造ややらせなどがなくならない。
そこに現実に生身の人間がいる。そんなことに配慮できないで、人権問題を簡単に扱おうとする。もうちょっとメディアの責任というものを我々に感じさせてもらいたいものだ。
2014-01-17 09:39
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0